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名品こだわり解説:《熊野懐紙》藤原範光 

お知らせ | 2019.11.16

名品こだわり解説:《熊野懐紙》藤原範光 


《熊野懐紙》藤原範光
鎌倉時代 正治2年(1200) 紙本墨書 重要文化財  和泉市久保惣記念美術館蔵

 熊野懐紙とは、熊野詣の道筋の各社で開催された歌会での和歌を懐紙に書き留めたもの。熊野本宮、速玉大社、那智大社の3社を詣でる熊野詣。鎌倉時代の波乱の上皇、後鳥羽院は、生涯で熊野詣を28回行ったといわれます。本作品は、正治2年(1200)12月16日に熊野大社への道筋にある滝尻王子社で催された歌会で、廷臣の藤原範光が詠歌を記したもの。ちなみに京都御所から滝尻王子まで約200㎞強。輿や馬のような乗り物を使用したとしても未舗装の冬の山道を往復で400㎞以上を移動したのですから、イメージに反して後鳥羽院はじめ当時の公家衆たちは、意外と健強だったのかもしれません。

 歌を記した流麗な古筆は名筆の手によるものが多いのですが、歌の「詠み手」と「書き手」が必ずしも同じとは限りません。しかし、その点、「熊野懐紙」はライヴ感が違います。長い旅路で作った歌を作者本人が書いたものだからです。熊野詣大好き上皇に連れまわされた廷臣たちの苦労をしのびつつ、歌意を辿ってみると、

 1首目の「山河水鳥(さんがみずどり)」は、

「山中の河の水が岩を打つ音にも、ハッと目を覚まさないで、どれほど慣れていることか。浮きながら寝ている鴛鴦よ。」

 2首目の「旅宿埋火(りょしゅくうずみび)」は、

「灰の中にうめた炭火のまわりで冬の旅寝をすると、草木が芽ぐんでくる春のようすであるよ。」

という感じです。旧暦では1月1日からは春です。この歌はあと2週間で新春を迎える冬と春の境目をカウントダウンのように読者に伝えてくれます。

 ちなみに京都国立博物館で開催中の「佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美」(~11/24)には、熊野詣の主催者である後鳥羽院の同じく正治2年(1200)の「熊野懐紙」が展示中です。期せずして東西で「熊野懐紙」が響きあっております。ぜひ、お見逃しなく。