百面のかたち

橋岡一路 能面の心と技

2002年5月28日(火)~2002年7月7日(日)

『風姿花伝』を著した世阿弥と父観阿弥、室町時代初期にこの父子によって大成され、六百年をへて現代に受け継がれてきた日本の能。深い精神性をもち、厳粛ななかに神秘的な幽玄といわれる独特の美意識につらぬかれている。老松と若竹を配した能舞台の凛とした空間性、唐織りの装束の華厳さ、舞や謡曲の優雅さ、能には豊穣な世界を醸し出すさまざまな要素が緊密な関係を生み出している。
そして能面こそは、もっとも象徴的な存在である。「中間表情」にその特色があるといわれる能面は、能楽師に着けられたとき命を宿し血が通い、真の美しさとともに能の魂があらわれる。神の化身である《翁》、可憐優美な若い女性の《小面》、嫉妬による憤怒のあらわす《般若》、眼窩のくぼんだ死相のただよう《痩男》、緊迫感あふれる鬼神をあらす《小悪見》、気品に満ちた青年貴公子《中将》、狂乱する中年の女性《深井》など。古くから伝わる多彩な面は名だたる能面師が生みだした名品であり、かけがえのない私たちの宝として永く後世に伝えられてきた。
現代の能面師橋岡一路氏は、卓越した技量をそなえ、能が伝えてきた心を刻んでいる。観世流の名門橋岡家に生まれた作者は、終戦とともに能面師として歩みはじめ、東京美術学校で畑正吉に、さらに宝生流面師鈴木慶雲に入門する。以来、能面の「写し」に厳しい修練をかさねた現代能面師を代表する存在である。
本面の素晴らしさを写し刻むことによって、これから先、何百年も生きる面を打つことが宿命である、と橋岡氏は言う。完成された能面の“かたち”と一点もゆるがせにできない写しの“かたち”、彼は名品と言われてきた多くの能面を今日に甦らせたのである。
本展は作者にとって百面の記念となるものであり、生涯の区切りとなる展覧会である。鮮やかな絵模様の扇や謡本、唐織の装束などをあわせて展示し、華麗なる幽玄美をたたえる能の世界を堪能していただけたと思う。
熱心な観客の方が大勢来館されたのは、時間を経て完成されたいまなお受け継がれている伝統の美と、非日常の世界へと誘う古典の世界にたいするあこがれにも似た感情であろうか。あらためて、今日における能楽の人気と隆盛を実感させられた。

展覧会情報

会期 2002年5月28日(火)~2002年7月7日(日)
入館料一般300円 小・中学生100円
※65歳以上の方及び障害者の方は無料
※毎週土曜日は小中学生無料
休館日毎週月曜日
主催 渋谷区立松濤美術館
展覧会図録

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完売