辻 晉堂

1983年11月15日(火)~1984年1月15日(日)

辻晉堂(明治43(1910)年-昭和56(1981)年)は、鳥取に生まれ、昭和6(1931)年上京、翌年独立美術研究所に入る。昭和8(1933)年日本美術院展に塑像「千家元麿氏像」を出品、その後毎年院展に出品を続けるが、途中から木彫を試み、「出家」「婦人像」等により注目を集めた。その木彫作品は、平櫛田中をして「人材欠乏の木彫界の将来、辻をおいて他に期待すべき木彫人はない」といわしめた程のものである。直彫
(石膏等の原型を使わず、直接木材に向い、彫り上げていくやり方)が多く、そこに木彫独自の表現を行った。「詩人(大伴家持試作)」「琵琶を弾く男」等も代表作である。作風は新鮮ながらどこか古拙美を帯びたものであり、当時の彫刻界に新風を吹き込んだものであった。
昭和25年頃から次第に抽象表現に傾き、やがてそれは独自の陶彫世界に結実する。昭和31(1956)年丸善の個展で「々毿々」「顔(拾得)」「猫の頭」「禁煙(禁煙の名人)」等の陶彫作品を発表し、人々に多大な衝撃を与えた。陶彫作品は昭和32(1957)年サンパウロ・ビエンナーレ、昭和33(1958)年ベニス・ビエンナーレに出品される。
「沈黙」「馬と人」「牡牛」「巡礼者」等の大作を仕上げ、陶彫作家としての基盤を着実に固めて行った。一方、木と鉄を組み合せた「詩人(これ我かまた我に非ざるか)」、鉄の「寒山」「歩く壁」等も発表する。
テーマは時代に密着した「オバQ」「詰込主義教育を受けた子供」「イタイ・イタイ」もあるが、禅に心酔したことのある辻晉堂は、やはり禅にどこか関連のあるものを好み、俗を嫌い古典に親しむ精神世界は絶えず時代を批判し続けた。
晩年は自称「粘土細工」なる作品を作り続けるが、これは彼自身の言葉「私が現在やってゐることは、『粘土細工』を焼いたものに過ぎないし、力み返って彫刻だ芸術だと云ひたてる必要はない。」で表わされるものである。
永年、京都市立芸術大学において教鞭を取ったが、その妥協の無い作品と、情熱溢るる人柄は様々な分野の人々からも愛され続けている。

展覧会情報

会期 1983年11月15日(火)~1984年1月15日(日)
入館料一般200円 小・中学生100円
休館日毎週月曜日(ただし、第2週のみ日曜日)祝日の翌日及び年末年始(12月29日~1月3日)
主催 渋谷区立松濤美術館
展覧会図録

展覧会図録

完売