橋本コレクションは、橋本末吉氏が、賞鑑家・研究者としての卓越した識見をもって蒐集された中国絵画のコレクションであり、国内外に高い評価を受けている。本展では、橋本コレクション700余点の中から、明末清初を中心に140点余を列した。
明代、漢民族文化復興政策のもとに再興された画院で活躍した邊文進・石鋭・王諤・朱端は、宋代画院の伝統を受け継ぎ、皇帝に供奉した。この画院画家の一人戴進は、南宋院体を基調に李郭派を学び水墨をもって雄渾な山水を描いたが、その筆墨法には粗放狂逸ともいえる一面があり、それが呉偉や張路に受け継がれ、後代浙派と称される職業画家のスクールが生れた。浙派は末流になると、技術としての筆墨法のみが強調され、表現内容と乖離し、呉派系文人画家達から狂態邪学との批判を受け、浙派から人材の供給を受けていた画院とともに明代中葉には衰退していった。
文人画は、元末四大家により確立され、明初にはやや低調であったが、蘇州の経済的繁栄を背景に沈周・文徴明がでて、呉派文人画として方向づけられ、松江の董其昌により理論的にも完成された。
文化的爛熟期を迎えた明末には、その政治的混乱を反映するかの如く、尚古越味やデフォルメをもって描かれたエキセントリック絵画が、呉彬・丁雲鵬らにより描かれた。また、八大山人・石濤らの明の遺民は、清朝の異民族支配に抗して、自由かつ個性的な画を残した。正統的文人画の伝統が四王呉によって受け継がれる一方で、明末清初の都市経済の発展を背景に、松江・金陵・揚州・杭州・新安などに独自の画風が成立した。
そして、乾隆年間には、揚州に、金農・鄭板橋らの揚州八怪がでて、文人画本来の精神に立ち返り、四王呉以来の伝統的形式主義に墜ちいっていた文人画に新風を吹き込んだ。
阿片戦争以後、絵画の中心は、新興都市上海に移り、呉昌碩・任伯年らが活躍し、やがて、民国になると国画という様式が完成されるに至った。
本展では、明初より現代に至る中国絵画の流れが、作品を通して概観しうるものとなった。これも、橋本コレクションの優れた点といえよう。但し、作品保護のため、会期を三期に分けざるを得なかった。全作品を一度に陳列しえたならと思う次第である。
展覧会情報
会期 | 1984年4月10日(火)~1984年5月27日(日) |
---|---|
入館料 | 一般200円 小・中学生100円 |
休館日 | 4月16日(月)・4月23日(月)・4月30(月)・5月1日(火)・5月4日(金)・5月7日(月)・5月8日(火)・5月13日(日)・5月21日(月) |
主催 渋谷区立松濤美術館
併催 特別陳列 渋谷区在住作家の作品 |
展覧会図録
完売