ジョルジュ・ビゴー

明治日本を生きたフランス人画家

1987年4月7日(火)~1987年5月17日(日)

今から約100年前、明治中期の日本に18年間滞在したフランス人画家ジョルジュ・ビゴー(安政7(1860)年-昭和2(1927)年)は、諷刺画家、風俗画家、そして雑誌記者や報道写真家として活躍し、数多くの作品を残した。ビゴーは最初、フランスで、挿絵画家として活躍していたが、日本美術愛好家との交流などを通じて、浮世絵の国、日
本への憧れを抱き、明治15(1882)年、21歳の時来日した。
次第に日本の生活と文化に通じていったビゴーは、生活の為に、「おはよ」、「また」、「クロッキ・ジャポネ」などの銅版画集を次々に刊行していった。これらの画集には、日本の庶民生活が、好奇と愛情の眼差しで生き生きと描かれている。明治20年代には、新聞、雑誌の仕事をこなして、時局諷刺雑誌「トバエ」を発刊して、在日外国人の為に、時事問題を扱い、諷刺画を数多く描いた。これらの雑誌は、当時の自由民権運動にも影響を与えた。更に、ビゴーは、日本各地の風俗や事件の取材を精力的に行い、生々しいスケッチを数多く残している。明治27(1894)年には、「ザ・グラフィック」紙の特派員として、日清戦争に従軍取材し、朝鮮庶民の姿や従軍兵を描写し、日本人が描かなかった虐げられた人々や戦争の暗部を鋭く表現している。
日清戦争以降、日本は次第に軍国化し、官憲による言論弾圧も強まり、外国人居留地の撤廃が決定され、「古きよき日本」はビゴーにとって、「いたたまれない日本」へと変貌していった。明治32(1899)年、彼はついに日本を離れ、フランスへ帰国した。ビゴーは、パリ郊外、ビエーブルのアトリエで、67歳の生涯を終えている。
本展は、フランスの遺族の方々が所蔵していた作品を中心に、油彩、水彩、スケッチ、デッサン、版画、ポスター、アルバム、書簡など400点近くの大部分が未公開の作品で構成され、画家、ジャーナリストとしてのビゴーの全体像を再認識するうえで、初めての本格的な回顧展となり、多数の入館者数を記録した。
渋谷区は、昭和60(1985)年5月に、パリ市六区との間に文化交流協定を結び、既にパリ市六区の三美術館所蔵品の展覧会をも開催している。ビゴーが通った美術学校や帰国後住んだ場所は、パリ市六区にあり、本展は、日本での展覧終了後、パリ市六区区役所でも開催されて大きな反響を呼んだ。

展覧会情報

会期 1987年4月7日(火)~1987年5月17日(日)
入館料一般200円 小・中学生100円
休館日4月12日(日)・20日(月)・27日(月)・5月6日(水)~10日(日)
主催 渋谷区立松濤美術館 美術館連絡協議会 読売新聞社
後援 文化庁 フランス大使館
協賛 花王株式会社
展覧会図録

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完売