石垣栄太郎

1988年6月7日(火)~1988年7月17日(日)

No Image

本展は、前年に開催した国吉康雄に続く、いわゆるアメリカ派の画家の一人として知られる石垣栄太郎の初めての本格的な回顧展であった。
石垣栄太郎は、明治26(1893)年に、捕鯨の町として知られる和歌山県太地に船大工の子として生まれた。当時、今日捕鯨に反対している欧米諸国が日本近海で鯨の乱獲をしたために、太地の近海捕鯨がなりたたなくなり、石垣の父は移民として渡米。ついで、石垣も父に呼ばれて渡米する。16歳であった。石垣もまた、国吉康雄と同じく、働きながら学ぶなかで美術を志し、カリフォルニア、ついで、ニューヨークに出てジョン・スローンに師事した。この間、渡米中の社会主義者片山潜らと親交を結び、独自の思想を形成していった。大正14(1925)年独立美術家協会展に出品した「鞭打つ」によりソシアル・シーン派の中堅画家として認められ、以後、昭和26(1951)年に、マッカーシズムのあおりで帰国するまで、恐慌下のアメリカ社会の抱える問題をテーマとした「街」「失業音楽隊」など、あるいは、第二次世界大戦前後のファシズム・帝国主義と戦う民衆をテーマとした「群像」「捕虜」などを描き続けた。その一方で、サッコ、ヴァンゼッティの死刑反対集会に参加したり、進歩的文化人の団体ジョン・リード・クラブの創立委員として活躍、あるいは、日中戦争の時期には中国民衆に対する救援活動に夫人の綾子とともに積極的に参加するなど、自らの思想を行動をもって表現した。
石垣栄太郎は、アメリカから半ば追放される形で帰国したために、残された作品は多くなく、また、状態も良好ではなかったが、和歌山県立近代美術館をはじめとする美術館、ならびに石垣綾子氏の協力を得て、国内にある油彩作品の殆どにあたる39点、ニュー・ディール政策下に描かれた壁画の下絵3点及びテッサン72点を陳列することができた。本展の開催とほぼ時期を同じくして、東京都美術館等で開かれた「1920年代日本展」に、行方不明となっていた「アメリカン・コサック」「馬上の男」がソ連よりもたらされたこととあわせて、本展の開催により、石垣栄太郎の画業と彼の思想の一端が改めて認識されたことと思われる。同時に、前年度開催の国吉康雄展とともに、アメリカ派の再認識の機会となったこととも思われる。

展覧会情報

会期 1988年6月7日(火)~1988年7月17日(日)
入館料一般200円 小・中学生100円
休館日第2日曜日及び他の週の月曜日
主催 渋谷区立松濤美術館
展覧会図録

展覧会図録

価格:1,200円

購入する