木村忠太

1989年4月4日(火)~1989年5月28日(日)

本展は、木村忠太が独自の画風を確立したとみられる昭和40(1965)年から、死にいたるまでの国内外の代表作約100点(油彩・パステル・デッサン)を陳列した、日本では初めての本格的な展覧会であった。
木村忠太は大正6(1917)年高松市に生まれ、昭和62(1987)年7月3日パリで70年の生涯を閉じている。昭和28(1953)年、画家36才の時にフランスに渡って以後ついに日本に帰ることなく、パリに定住して制作活動を続けた。
木村ははじめボナールの光に満ちた室内情景に強く影響を受け、光を自らの画面に取り込むべく精進を続けるが、渡仏後しばらくの模索期間をへた後、抽象性の強い色面とデッサン風の線描を駆使した独自の画風と方法論を確立するにいたる。木村は常に自然から受ける感動から出発したが、描こうしたのは対象である自然そのものではなく、対象と画家の間に生じた火花のような感動であり、その再現を模索しつつキャンバスとの格闘を続けたのである。その制作過程において、画家は自然に対して畏敬を持つという日本人的素質を強く意識し、強い感動の力に押し迫られるかのように絵筆を進める。しかし、一方では感動の主体である画家の感性が働き、油彩画という西洋のマチエールの獲得にも努めた。画家は感動に対して服従的であるという点で東洋的であり、あくまでも造形作家として感動をマチエールの中に再現しようと努める点では西洋的であった。
完成された作品はあるリアリティを持つにいたるが、それは対象自体の真実ではなく、対象が画家の心に生じさせた感動のリアリティであり、その意味で画家の“魂の真実”であった。木村の絵画は、あくまでも内面的なリアリティを追求していたために抽象性の強い画面となっているが、自然からの感動をよりどころとし続けるかぎり、具象的であり続けた。木村が自らの絵画を「アブストラクトの次の時代に来るもの」と自負したのはこのような意味においてである。
彼の画業は、昭和55(1980)年のパリ、グランパレ美術館での現代美術国際フェアにおける展観や、昭和60(1985)年ワシントン、フィリップス・コレクションでの展覧会などにおいて、現代における絵画のあり方に対する一つの解答例として高い評価を受けているが、このたびの展観により、日本においても一層評価の機運が高まることであろう。

展覧会情報

会期 1989年4月4日(火)~1989年5月28日(日)
入館料一般200円 小・中学生100円
休館日4月9日(日)・10日(月)・17日(月)・24日(月)・5月1日(月)・2日(火)・8日(月)~11日(木)・14日(日)・15日(月)・22日(月)
主催 渋谷区立松濤美術館
展覧会図録

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完売