橋本コレクション

中国の絵画 ―明末清初―

1991年4月9日(火)~1991年5月26日(日)

長い中国の歴史の中でも、明末清初という時代は政治、社会、経済、文化のあらゆる面で特筆される時代の一つであるといえよう。政治的には、王朝の交代、それも漢民族王朝から満州族という異民族王朝による統治という激しい変化であり、社会的には商人を中心として松江、揚州、杭州、南京などの都市が活況を呈し、経済的には貨幣経済が浸透して所謂資本主義的要素の萌芽が見られ、文化的には都市を中心に庶民文化が深く広い展開を示すなどの様相を呈したのである。
こうした時代、絵画の世界においても、宮廷、文人、士大夫、商人などの様々な階級の需要に応じる形で、極めて多様な絵画が作られていった。
中国絵画の一つの柱である文人画が官僚士大夫によって担われ続ける一方で、文人画家とはいわれるものの、職業画家と紙一重ともいえる画家たちが多数登場してくる。文人画の主流である呉派も、古画の研究を怠るなどして形式化していくが、それに替わり松江出身の董其昌が古画の研究を第一とする理論を唱導して、文人画に新たな息吹を与えてその地位を確立し、それが清初の四王へ受け継がれて清朝の正統的画風として定着し、清朝宮廷絵画の一つの柱となっていく。この董其昌と同時に、明末の不安な世相を反映するかのような怪異とも言える山塊や人物を描く呉彬、丁雲鵬などの奇想派と呼ばれる一群の画家達が出現し異彩を放っている。更に、王朝交代に際して、二朝に仕えることを拒み、胸中の欝屈した思いを画筆に託した石濤、傅山らの遺民画家と呼ばれる画家達が個性的な作品を残す。また、戦禍を受けたとはいえ、清朝の安定ともに経済的再建を遂げた都市には、それぞれの都市の風土と需要に応じて、松江、南京、揚州などに独自の画風が育まれ、商人の経済力の増大を背景とする新安派なども登場して、未曽有ともいえる複雑な様相を呈していったのである。
惜しむらくは、本展の開催を前にして、橋本末吉氏が病のために急逝されたことである。橋本末吉氏は、その蒐集された絵画を蔵することなく、日本の研究者は勿論、諸外国の研究者などの利用に供し、中国絵画史研究の発展に残された足跡は極めて偉大なものがあるといえる。橋本氏のご冥福を祈るとともに、その遺志を小館としても可能な限りひきついでいきたいと考える。

展覧会情報

会期 1991年4月9日(火)~1991年5月26日(日)
入館料一般200円 小・中学生100円
休館日4月14日(日)・15日(月)・22日(月)・30日(火) 5月1日(水)・7日(火)~10日(金)・12日(日)・13日(月)・20日(月)
主催 渋谷区立松濤美術館
展覧会図録

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完売