この展覧会は、平成5(1993)年の特別展「中世庶民信仰の絵画」の後を受けたもので、それに続く近世(江戸時代)の宗教美術を取り上げた。300年近くも続いた近世は、一般に宗教が堕落し、宗教美術も衰えた時代といわれるが、庶民のレベルで見れば、檀家制度が定着し、日本的な信仰の形態である神仏習合が完成するなど、宗教が生活にもっとも深く浸透し、影響を持った時代であった。宗教美術の面でも、禅の改革者白隠の気魄あふれる書画や、生涯を旅に過ごした造仏聖円空や木喰の素朴な仏像、細密な文字絵で敬虔な仏画を描き続けた加藤信清の作品など、様々な作家によって個性豊かな作品群が生みだされている。大津絵や浮世絵などの新しいメディアによって宗教美術が庶民に広く普及したのもこの時代であるし、各地の寺院にのこる宗教美術作品のかなりの部分は、この時代に製作されたものなのである。
もっとも、近世の宗教美術全般を見渡すと、前代のそれを踏襲したにすぎない造形的に見どころの少ない作品が多いのも事実である。本展はそのような作品は極力省こうと努めた。また、石仏や絵馬、あるいは社寺の装飾彫刻など、近世宗教美術の一端を担う重要な作品群でありながら、今回取り上げることができなかったものも多かった。その意味では、本展は近世宗教美術の全貌の概観は目指さなかった。
今回取り上げようと試みたのは、主題や様式など何らかの点で近世的な新しい表現内容を持った作品である。宗教美術の大衆化にともなって、従来見かけることのなかった大胆な
構図や戯画的な内容を持った作品が登場してくるが、それらのユーモアあふれる表情豊かな表現には、堅苦しいイメージが先行した以前の宗教美術には見られなかった新鮮な魅力がある。また、造仏聖が各地に彫り遺した素朴な仏像や、禅僧が余技で描いた書画などは、専門的な訓練を受けていない素人の造形であるが、真摯な修行の末にたどり着いた宗教的境地があられたものも多く、近世の“人格の表現”として評価されるであろう。
今回の展覧では、若冲や大雅といった著明な絵師の作品から、大津絵や地獄絵などの庶民の信仰に基づくものまでを含む83点によって、そのような近世らしさを探り出そうと努めたが、近世宗教美術の豊饒な世界を少しでも示しえたとすれば幸いである。
展覧会情報
会期 | 1995年6月6日(火)~1995年7月23日(日) |
---|---|
入館料 | 一般200円 小・中学生100円 |
休館日 | 6月11日(日)・12日(月)・19日(月)・26日(月) 7月3日(月)・9日(日)・10日(月)・17日(月) |
主催 渋谷区立松濤美術館 |
展覧会図録
完売