大正・昭和の水彩画

―蒼原会の画家を中心に―

1995年8月8日(火)~1995年9月24日(日)

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明治時代は水彩画が大変はやった時代であった。一時は油彩をしのぐほどでもあった。
やがて、大正期に入り、同2年には日本水彩画会が設立され、南薫三、石井柏亭、赤城泰舒などの水彩画家が活躍するようになった。しかし、大正期は、明治後期に比べると水彩画は美術的に革新性を欠き、新鮮味を失っていった。又、展覧会場では大型の強い油彩に比して弱く、その為、水彩を捨て油彩に向かう者が大半であった。この時期に注目すべき水彩画を残したのは油彩画家であり、萬鉄五郎、古賀春江、岸田劉生、坂本繁次郎、長谷川利行などがすぐれた水彩画を残している。
このような水彩画の不振を打破しようとして結成されたのが蒼原会の運動である。大正11(1922)年、日本水彩画会研究所の若き画家、小山良修、中西利雄、富田通雄の三人が東京で水彩画家の研究グループを作った。東京三脚会という会はのちに蒼原会と名を改め、全国に水彩画の普及活動を展開していった。毎月写生会を催し、展覧会を行い、地方支部を結成した。又、「新興水彩」という水彩画雑誌を刊行した。大正11年から昭和15年頃までが活動のピークだった。特に中西利雄は水彩を油彩に負けないものとするため、不透明水彩を併用したり、画面の大型化に挑戦した。他に医者であった小山良修は会のまとめ役として活躍し、銀行員だった富田通雄も南画的水彩を残した。東京では、渡部菊二、不破章、荻野康児、岡田正二、藤江志津、小堀進などが活躍し、多くの傑作を残している。
更に注目すべきは地方の蒼原会の作家である。九州では、宮崎羊邨、田代順七、瀬戸内地方では名柄正之、西原務、杉原茂右衛門、長田健二、岐阜では上田栄一、北海道では繁野三郎、野口俊一、佐藤進などが独自の作品を残している。
戦後になって蒼原会の活動は終えんの方向に向かったが、この運動の中から日本水彩画会が継続され、新たに水彩連盟が結成されており、蒼原会は、日本近代水彩画史上に大きな功績を残したといえる。
本展では、モダニズムの流れやアカデミズムの流れからはずれ、傍流となった水彩画の日本絵画史において果たした存在と意義がみなおされたといってよいであろう。その証拠に岐阜では、上田栄一の初めての個展が開催され、北海道でも佐藤進の大回顧展開催などがあり、蒼原会を含めた近代日本水彩画に対する見直しと研究が展開されつつある。

展覧会情報

会期 1995年8月8日(火)~1995年9月24日(日)
入館料一般200円 小・中学生100円
休館日8月13日(日)・14日(月)・21日(月)・28日(月) 9月4日(月)・10日(日)・11日(月)・18日(月)・19日(火)
主催 渋谷区立松濤美術館
展覧会図録

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完売