女性の肖像

―日本現代美術の顔―

1996年12月10日(火)~1997年2月2日(日)

「美人画」「婦人像」「裸婦像」は美術作品の大きな部分を占めているが、どんな目的で、誰を描いたのかを問われないまま一般化し、次第に強固なジャンルになってしまった。しかし、これらの定型化された女性像がなぜこれほどまでに繰り返し描かれるのかについて考えるべき点は多く、しかもほとんど意味のないモチーフ・画題として女性像が確立しているために、問いが欠落したまま覆い隠されている様々の問題がある。
本展では、女性像の定型には収まらないリアルな女性像について考察しようとした。油彩画、日本画、版画、立体など、ジャンルを横断した視野の下、昭和初期から戦中、戦後のリアリズムの時代を中心に、現代に続く具象的な表現の系譜のなかに、どのような観点から新しい人間像が求められ、女性の像として描かれたかを紹介した。
具体的には、「肖像画と自画像」、「母へ/から」「時代の群像」「メディアの中の顔」の4つのパートを設け、それぞれ多様なジャンルを含む展示を行った。
まず、一般化されない個人として描かれた「肖像と自画像」では美術家の家族や友人、女性の美術家自身がモデルになった作品を集めた。身近な人々の姿が真摯に描写された女性の肖像は、男性の肖像画が普通は高名な人物の像であるのに比べ、親密で愛情に満ちた表現がとられる。女性の自画像では、既成の美や女性らしさと自分自身との間の軋轢から、自分をみつめることの困難が重要な主題となっている。
「母へ/から」では、母親像、老母あるいは老女の像について集めてみた。近代日本の女性像のなかで、最も精神性をこめて表されるのは母親像であり、聖母子像を通俗化したような安易な母像を除くと、完成された母としての老母像が最も敬意をこめて描かれる。という仮説を設定してみた。老女像は高い精神を持った人格者として表され、性的オブジェのように扱われる若い女性の像と対照される。女性像にはモデルの年齢の別によって、少女像、婦人像、老女像と分類でき、それぞれに異なった意味が担わされているようだ。
「時代の群像」では、風俗画、プロレタリア美術、戦争画、擬人像など、時代の顔として描写された女性像をとりあげた。
「メディアの中の顔」では、60年代から顕著になった、消費されるイメージとしての女性像の系譜を戦前からたどり、女優やコマーシャルの虚像をめぐって、リアルさの本質的な変容がたどれる内容とした。

展覧会情報

会期 1996年12月10日(火)~1997年2月2日(日)
入館料一般200円 小・中学生100円
休館日12月16日(月)・24日(火)・29日(日)~1月3日(金)・6日(月)・12日(日)・13日(月)・16日(木)・20日(月)・27日(月)
主催 渋谷区立松濤美術館
展覧会図録

展覧会図録

完売