中山岩太

モダン・フォトグラフィー

1997年4月8日(火)~1997年5月25日(日)

中山岩太(明治28(1895)年- 昭和24(1949)年)は、日本の写真史にいて、際立った個性をもつ作家として知られているが、その全貌を本格的に紹介するのは、本展が初めてである。兵庫県立近代美術館および芦屋市立美術博物館に寄託されている中山岩太の会所蔵の作品に加え、阪神・淡路大震災により倒壊した中山写真スタジオから救出された作品や資料などをあわせ、代表作約130点を展示して、日本近代写真の精華である中山作品を展覧した。
中山は、東京美術学校臨時写真科の第1回卒業生で、大正7(1918)年から昭和元(1926)年までニューヨークを中心にアメリカに滞在して活躍し、写真スタジオを経営した後、ヨーロッパに渡り、昭和2(1927)年の帰国までパリの前衛作家たちと交流しつつ、モダニズムの芸術運動を体験している。帰国後は、昭和5(1930)年にアシヤカメラクラブを設立し、先鋭的な写真の造形実験のリーダー的存在となって、モンタージュ、多重露光など華麗なテクニックを駆使した作品を発表し、雑誌「光画」の同人としても活躍した。
徹底して、写真を自己表現の手段と考え、スタジオ内での技巧を凝らした制作を専らにした中山の作風は、写真の記録性を重視する従来の写真史のメインストリームからは、異端
視されることもあった。しかし写真が芸術のひとつの分野として確立した現在から見ると、彼の作品の高い芸術性は、十分に新鮮であり、意義深い達成のひとつであることは、うた
がいないであろう。 開花した日本のモダニズムと、ファシズムに彩られた文化の日本化が交錯した、1930年代の諸問題は、中山の作品の展開へも色濃く影を落としている。彼はいわゆる「新興写真」が批判され、ストレートな記録的な写真の需要が高まっていく時代の流れの中で、あえてこれに異議を唱えて自己の内面に沈潜し、1940年代には最も写真的でない表現、すなわち抽象表現へと向かった。
中山の制作の軌跡は敗戦に大きく分断され、彼が戦後を十分に生きることなく亡くなったために、中山は単なるモダニストと見なされがちである。しかし、移入モダニズムの手法
と自己表現とを厳格に区別しながら、写真というメディアをあらゆるテクニックを持って内面化しようとした彼の仕事は、日本の近代美術史においても、最も真摯ありかただったことは忘れてはならないだろう。

展覧会情報

会期 1997年4月8日(火)~1997年5月25日(日)
入館料一般200円 小・中学生100円
休館日4月13日(日)・14日(月)・21日(月)・28日(月)・30日(水) 5月6日(火)・7日(水)・8日(木)・11日(日)・12日(月)19日(月)
主催 渋谷区立松濤美術館
協力 兵庫県立近代美術館 芦屋市立美術博物館
展覧会図録

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完売