慈愛の造形

木喰の微笑仏

1997年12月2日(火)~1998年1月25日(日)

江戸中期の遊行僧木喰(享保3(1718)年-文化7(1810)年)は、各地を遍歴しながら千体を超える仏像を刻んだことで知られる。名のりを得度時の行道から、人生の節目を迎える度に五行菩薩、明満仙人とかえているが、現在は木喰の通称で呼ばれることが多い。五穀を絶つという厳しい木食戒を行う僧を木食僧といい、木喰もその一人であったことに由来する名であるが、仏像背面の墨書に口偏を付した木喰と署名することが多く、木喰再発見の功労者である柳宗悦もこの呼称を好んで使用している。
山梨県の山村に生まれた木喰は、五十代半ばに日本回国の旅に出、後半生をほとんど旅に過ごしながら、六十歳を過ぎた頃から仏像を彫りはじめ、八十歳で千体仏の造像を発願し九十歳までの十年間にこれを達成、その後も死を迎えるまで造仏の旅を続けた。まさに超人的な生涯である。その仏像は彫技の訓練を受けた専門仏師の技術を見せる作品とは異なり、一木彫りの素朴な味わいに魅力がある。一体一体丹念に彫り込まれて丸みを帯び、口もとに笑みを浮かべた微笑仏と呼ばれるものが多い。そこには厳しい修行に人生をおくった木喰の宗教的到達点が示されており、見るものに感銘と安らぎを与える。本展は新潟、静岡、京都、兵庫、山口をはじめ、全国から集められた晩年の微笑仏を中心に、書、絵画などの関係資料を加えた総数約百三十点の展観によって、慈愛に満ちた木喰仏の世界を振り返った。
この展覧会は大阪朝日新聞社と郡山市立美術館との共同企画によるものであったが、入館者数・図録販売数ともに当館の過去最高を記録した。九十三歳の高齢で没した木喰の生涯は、厳しい修行と衆生済度を願っての造仏の旅に明け暮れつつ、老齢にいたって千体仏造像という偉業を達成するという、エネルギッシュでありながら、なおかつ無欲なものであった。この展覧会へ寄せられた大きな支持は、木喰のそうした超人的な生きざまが、衣食足りた生活をおくりながらも働き詰めで定年を迎え、その後の長い老後の指針を見い出せずにいる現代人にとって、深い反省と共感を呼ぶものであったからかと思われる。

展覧会情報

会期 1997年12月2日(火)~1998年1月25日(日)
入館料一般300円 小・中学生100円
休館日12月8日(月)・14日(日)・15日(月)・22日(月)・24日(水)・29日(月) ~1月3日(土)・5日(月)・11日(日)・12日(月)・16日(金)・19日(月)
主催 渋谷区立松濤美術館 朝日新聞社
展覧会図録

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完売