児島善三郎

日本的油彩画の創造者

1998年10月6日(火)1998年11月23日(月)

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児島善三郎(明治26(1893)年-昭和37(1962)年)は福岡市の出身で、独学で絵画の道に入り、28歳の時、二科美術展に初入選し、板橋や代々木にアトリエを構えて制作に励んだ。大正14(1925)年に欧州に留学し、当時の流行に飛びつくことなく、量感あふれる裸婦など、西洋絵画の基本をふまえた作品を多数遺した。留学中、フランス人に、日本人はあれほど素晴らしい美術、文化の伝統を持っているのに、何故、我々の真似をしようとするのか、と言われたという。児島は以後、日本人の気質にあった独自の油絵を目指して苦闘を重ねた。
帰国後は、渋谷区代々木初台で制作を続けた。昭和6(1931)年には二科会を脱して、西洋の模倣ではない油絵を生み出さんと、林武、三岸好太郎らと独立美術協会を創立する。この代々木時代に続き、国分寺にアトリエを移して(昭和11(1936)年-昭和26(1951)年)、武蔵野の自然をはじめ日本各地の風景を数多く描き、独自のデフォルメで大胆に様式化した作品を残した。その後の荻窪時代(昭和26(1951)年-昭和37(1962)年)には技法にとらわれない雄大、華麗な芸術境地を目指して更に研鑽したが、闘病生活とともに身辺の花などを描いた静物画が増えてゆく。
児島善三郎の絵画は人物、風景、静物とそのモチーフは様々であるが、画風は力強いフォルムと鮮やかな色彩が見事に調和した躍動感溢れる独自の芸術世界を示している。彼は近代ヨーロッパ絵画を学び、それを大和絵や南画などの日本の伝統的な様式美を踏まえて再解釈し、新しい日本人の油彩画を創造して、その後の日本洋画壇の発展に大きな影響を及ぼした。
本展は、いまなお日本の近代絵画史上で高い評価を得ている児島善三郎の約40年にわたる画業を、初期から晩年までの代表的な油彩作品約80点に彫刻、デッサン、水彩画、墨彩画、未公開の陶器や書簡などを加えて、約120点の作品によって構成し、日本人独自の油彩画を目指して苦闘した児島芸術の足跡を辿った。
特に、今回初公開されたデッサンや水彩画、水墨画などは日本や東洋・中国絵画を研究した児島の関心の深さを裏付けるものであり、今後の研究の新しい方向を示すものである。更に、最晩年の荻窪時代に焼かれて絵付けされた陶器ものびのびとした味わいがあり、児島芸術の奥の深さ、豊かさをしのばせるに十分なものがあった。

展覧会情報

会期 1998年10月6日(火)1998年11月23日(月)
入館料一般300円 小・中学生100円
休館日10月11日(日)・12日(月)・19日(月)・26日(月) 11月2日(月)・4日(水)・8日(日)・9日(月)・16日(月)
主催 渋谷区立松濤美術館
展覧会図録

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完売