戦後美術を読み直す

吉仲太造

1999年12月7日(火)~2000年1月30日(日)

吉仲太造(昭和3(1928)年-昭和60(1985)年)は、京都市に生まれて草創期の行動美術研究所に学び、昭和27(1952)年に上京した。瀧口修造企画によりタケミヤ画廊で2度の個展を開催して評価を獲得し、岡本太郎の呼びかけに応じて二科会にも参加した(61年まで)。60年代以降は、サトウ画廊を主な舞台に、一貫して貸し画廊で発表を続けた。吉仲は孤高の画家である。
本展は、吉仲の画業全体を回顧し、その再評価を求めるとともに、ひとりの芸術家を通して戦後の日本社会の精神史をも読み直すことを目的としている。
昭和21(1946)年から昭和59(1984)年まで制作に専心した吉仲は、文字通り戦後を生き通した画家である。50年代には、いきものと機械を描いた、錯綜したエネルギッシュな絵画、60年代の高度成長期には、新聞の株式欄や不動産欄をコラージュした『遺産』シリーズ、さらに70年代にはシルクスクリーンを用いて影像のディペイズマンを試みた『病と偽薬』シリーズを、吉仲は発表してきた。それらは時代の表層への批判にとどまらない、深い予言がユーモアをこめて表現されている。そしてうつ病に苦しみながら彼が最期に発表した白い“非色の絵画”の連作こそは、現代の我々に必要な、黙示録のような深淵なメッセージだと思われるのである。
吉仲の大きく変転する作風を7つの時代に分け、各時期の代表作を展示し、写真、雑誌等の資料も併せて紹介した。それぞれ全く異なって見えるこれらの半世紀にわたる仕事は、硬質で結晶度の高い造形、深い洞察と批判力、そして全体に漂う不思議なユーモアが一貫した個性になっている。
一般には知られることのなかった吉仲太造の画業は、決して一見して親しみやすいというタイプではないが、本展に来館された方々の共感を得ることができたのは幸甚であった。また、朝日、毎日、読売、東京、公明および地方紙各紙、また美術手帖等の専門誌各誌に高い評価を与える展評が掲載され、一定の再評価を得ることができたと思われる。

展覧会情報

会期 1999年12月7日(火)~2000年1月30日(日)
入館料一般300円 小・中学生100円
※65歳以上の方及び障害者の方は無料
※第二、第四土曜日は小中学生無料
休館日12月12日(日)・13日(月)・20日(月)・24日(金)・27日(月)・29日(水)~1月3日(月)・1月9日(日)・11日(火)・17日(月)・24日(月)
主催 渋谷区立松濤美術館
協賛 資生堂
展覧会図録

展覧会図録

完売