近世(江戸時代)の宗教絵画は、日本美術史の中でこれまでほとんど陽の当たらなかった分野である。確かに作画の技術の高さという観点から判断する限り、この図式に異論をはさむ余地はないが、近世の宗教絵画の中には、新たな価値を表現しようとしたものがある。
近世の臨済禅の改革者である白隠の気魄あふれる書画を一目見るなら、それがそれまでの仏画の物差しではかれぬものであり、新たな価値を主張するものであることが直感されるだろう。白隠はもちろん専門の絵師ではなく、真摯な禅の求道者である。書画を描くのは自らの宗教観を表現するためであり、生計を立てる手段ではない。そこに表現されているのは運筆の技術ではなく、いわば白隠の人格と言うべきものである。それが崇高と見えることもあるが、飄逸、あるいは奇矯と映る場合もあるだろう。いずれにしても、白隠は自らが欲するままに描きたいものを描いたのである。そのような自由な作画態度は、それまでの絵仏師たちが基本的には日々の糧を得るために、貴族や大寺院から注文を受けて仏画を描いたのとは大きく異なっていた。
白隠のみならず、その門下の禅僧たちも、布教のために書画を折に触れて描いており、それらは禅画と呼ばれている。そこに見られる“人格の表現”は、近世の宗教美術が主張し始めた新たな価値であり、欧米人にも理解されうる普遍性を持つものであった。国内において禅画はともすれば過小評価されがちであったが、戦後欧米でおこった〈禅=ZEN〉ブームの中で世界に愛好者を獲得し、各地に禅画のコレクションが形成された。中でも現在ニュー・オリンズに在住するカート・ギッター氏は、陸軍の軍医として日本に滞在したのをきっかけに禅画の蒐集を始め、長い年月をかけて優れたコレクションを築き上げた。そのコレクションには、日本にも希な優品が集められている。
この展覧会は、ギッター・コレクションの初の里帰りを機に、国内の寺院・美術館などに所蔵される白隠の傑出した書画を加えて、その魅力を紹介しようとした。欧米の人々によって見出された美意識を逆輸入することにより、日本文化に対して、相対化されたまなざしを注ごうとする企画であったが、若い人が多数来場し、カタログが記録的な売り上げを見せたことは、そうした狙いがある程度達成されたことを示すと考えている。
展覧会情報
会期 | 2000年10月10日(火)~2000年11月26日(日) |
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入館料 | 一般300円 小・中学生100円
※65歳以上の方及び障害者の方は無料 ※第二、第四土曜日は小中学生無料 |
休館日 | 毎週月曜日 |
主催 渋谷区立松濤美術館
協力 日本航空 企画協力 浅野研究所 |
展覧会図録
完売