受贈記念特別陳列

村田勝四郎

1985年12月24日(火)~1986年2月2日(日)

昭和60(1985)年3月、松濤美術館は彫刻家村田勝四郎氏より自作の彫刻作品48点の寄贈を受けた。村田氏は昭和6(1931)年渋谷・元代々木にアトリエを移して以来、50年余にわたり区内に在住し旺盛な創作活動を続けられている。寄贈を受けた作品はその永年の活動を物語るもので、昭和初期の帝展出品作から近年の新制作協会展出品作に至る各時期の代表作を網羅した創作活動の全容を示すものといえる。
村田勝四郎氏は明治34(1901)年大阪市北区に生まれた。大正9(1920)年には東京美術学校彫刻科に入学し北村西望教室に入る。彫刻科を卒業すると同研究科に入り、予てよりその造形理念に心酔していた朝倉文夫に師事する。さらに朝倉文夫が主催した若手彫刻家の研究会的集まりであった朝倉彫塑塾に参加し、村田氏の初期の作風が確立する。自然主義的写実彫刻に卓抜した技をみせた朝倉文夫は大正、昭和初期の官展彫刻に指導的役割を果し、村田氏に与えた影響は大きいものがあった。この時期に村田氏は主に帝展に出品し、ギリシャ彫刻を好んだというその作品は、ポーズに重点をおいた量感ある肉付けと単純化した形態で人体の存在感の表現が特色である。
昭和4(1929)年、朝倉彫刻塾を脱退し、安藤照・堀江尚志・松田尚之らと塊人社を結成した。官展系若手彫刻家の集まりであった塊人社は個性的な集団として当時の彫刻界に新風を吹き込んだ。
また、この頃、富本憲吉の窯に通いテラコッタによる造形を追求した作品を残したことも特筆すべきことである。
戦後、昭和24(1949)年、本郷新の勧めで新制作協会の会員となり、以後発表を続けてきた。この時期は村田氏の代表的といえる作品を次々と制作し、奇をてらうことない淡々とした写実精神で人体や動物を表現している。いくたびかの作風の変遷をおせる中で近年では、日本野鳥の会の理事を務めていたことから鳥に対する愛着がみられ、鳥と女、鳥と少年などのテーマで鳥と人間との関係を追求した作品が多く、それは、天空に向けて上昇する人間の夢を鳥に託しているかのようである。
当時85歳の村田勝四郎氏は更に新たな構想を抱き制作に意欲を持ち続けていた。

展覧会情報

会期 1985年12月24日(火)~1986年2月2日(日)
入館料一般200円 小・中学生100円
休館日12月29日(日)~1月3日(金)、6日(月)、12日(日)、16日(木)、20日(月)、27日(月)
併催 特別展 美とわざとのハーモニー 19世紀末ヨーロッパの捺染布 亀井茲明コレクション
展覧会図録

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価格:300円

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