今純三・和次郎とエッチング作家協会

採集する風景/銅版画と考現学の出会い

2001年4月3日(火)~2001年5月13日(日)

本展は、版画家今純三をキイにして、近代の銅版画の発達史をたどると共に、純三の兄、今和次郎の考現学を紹介したものである。初めてのまとまった展覧会として今純三と今和次郎の兄弟の業績を紹介し、今日ではなじみの薄くなってしまっている「考現学」という
言葉のもつ魔力をいま一度認識することができた。また、新発見の作品を多数展示することで、銅版画の普及した時期にあたる大正末から昭和前期の銅版画事情がわかってきた。
今純三は、生涯を版画の研究に情熱をそそぎ、昭和19(1944)年に戦争の激化する東京で不遇のうちに亡くなった近代を代表する銅・石版画家である。執拗に追求した作品の数々は、郷里青森の風景・風物を題材にし、辺境へと向かう眼差しと日常の人々の営みを活写する感性を物語るとともに、銅版画家の先駆者としての執念とも思える戦いでもあった。そして兄の今和次郎は、『日本の民家』や『モデルノロヂオ(考現学)』などを著し、“考現学”の造語を生みだしたことで著明な民俗・建築学の研究者である。各地の民家や集落の様子、銀座や貧民街などの都市風俗などに採集した記録を多数残している。彼はそれまで見逃されていた人々の隠された行動や様態、日常に潜むさまざまな事物を採集することで自然と社会と人間を捉え直そうとした。二人の兄弟は、大正12(1923)年の大震災を契機にそれぞれ大きく変わる。純三は郷里青森に帰り、銅版画の研究に没入し風景を主とした画風を作り上げ、一方で和次郎は銀座を手はじめに“考現学”調査に関わっていく。純三と和次郎の進む道は異なるが、考現学的な採集する姿勢に切り離せない関係がある。そして彼らの凝視する眼差しは、風景(自然)と人間と暮らしとを大きな調和のなかで捉えようとした希有なものだった。
また、今純三が傾注した銅版画は、昭和前期になって大いに普及発展した新しい表現であった。今純三とともに中心人物であった西田武雄は、日本エッチング研究所と室内社画堂を開設し、機関誌『エッチング』の発行をするなど銅版画の普及に貢献した。いまだ一部の制作者のものであった銅版画の底辺を広めると同時に、美術表現の手段として確立していったのである。その中からは今純三をはじめエッチング作家協会のメンバーなど多くの有能な作家が生まれたが、戦後の銅版画をリードした駒井哲郎もそのひとりであり、今日の銅版画の礎となった時期でもあった。

展覧会情報

会期 2001年4月3日(火)~2001年5月13日(日)
入館料一般300円 小・中学生100円
※65歳以上の方及び障害者の方は無料
※第二、第四土曜日は小中学生無料
休館日毎週月曜日と祝日の翌日
主催 渋谷区立松濤美術館
展覧会図録

展覧会図録

完売